24のプレリュードとフーガ / D.ショスタコーヴィチ・K.ジャレット
バッハか、ショスタコーヴィチか。
『24のプレリュード』というと、ショパンも登場するが、
サロンにフーガは似合わないと考えたのだろう。
フーガは、「理論」の音楽だから。
まあ、理屈っぽいとも言えなくはない。
で、バッハか、ショスタコーヴィチか。
悩ましい。
作品を比較するとすれば、
24曲の並べ方が、いわば、「真逆」なのが面白い。
バッハは、ひたすら調性の順番通り。
ハ長調、ハ短調の次は、嬰ハ長調、嬰ハ短調。
論理的というか構築的というか。
それでも無機質でないのが驚異ではあるが。
一方のショスタコービチは、
ハ長調、イ短調、ト長調、ホ短調・・・。
つまり、♯が、一つずつ増えて、6個になったら、
今度は、♭6個から始めて、一つずつ減っていく。
最後は、二短調で終わる。
二短調は、バッハの大作に多い調性でもある。
演奏する側からすると、難易度が徐々に高くなり、
そしてまた、低くなって終わるという並び方。
今回は、敢えて、ショスタコーヴィチ。
しかも、キース・ジャレットの演奏を取り上げたい。
理由は簡単。
バッハは、演奏者を絞り切れなかった。
そして、インプリンティング。
「刷り込み」だ。
むしろ、ジャズピアニスト、
それも即興演奏のイメージが強いK.ジャレット。
『ケルンコンサート』のLPをケルンの街で買い直した私。
今でも大切な音楽の上位にある。
で、「刷り込み」のお話。
私の子供のころ、クラシック音楽といえば、
「カラヤン/ベルリンフィル」だった。
『運命』と『未完成』が表裏に録音されたLPは、
日本中、かなりの家庭にあったと思う。
だから、その後、ほかの演奏で聴く、
『運命』や『未完成』になんだか違和感があった。
私個人の性向として、
「演奏」よりも「楽曲」に興味があったからかもしれない。
ショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガも同じ。
まず、K.ジャレットの演奏で聴いてしまった。
無骨なイメージのショスタコーヴィチが、
優しく、柔らかで、とても抒情的だ。
な、もので、その後聴いた、ほかの演奏に、
なかなかなじめなかった。
が、アレクサンダー・メルニコフは、よかった。
不思議と、耳に素直に入ってきた。
その理由は、敢えて詮索しないことにした。
音楽が楽しくなくなりそうな気がして。
いずれにせよ、眠れぬ夜におすすめ。
難易度が高くなる前に、きっと眠れる。
寝付く前に難易度が高くなってきても、
また、難易度は低くなっていく。
もっとも、全曲聴いてしまうと3時間超。
眠れぬ週末にこそ、ふさわしいのかも。
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