○○の法則

私の場合、「○○」には、無条件で反射的に「マーフィー」が入る。もう、古典だが、今でもにやりとさせられるし、いかなる局面においても斜に構えることを人生の最大努力目標にしている私にとっては、『マーフィーの法則』は1993年の出版以来愛読書といっていい。

それが、どうも世の中変わってきたようで、『マーフィーの法則』で調べると『アマゾン』では65冊と2枚がヒットしたのだ。「2枚」は嘉門達夫だが、オリジナルを大事にしているので、まあ、許す。しかし、65冊の「マーフィー本」のほとんどは、ものの見事にオリジナルであるところのアメリカ空軍のエンジニア「エドワード・アロイシャス・マーフィーJr」と無関係らしいのだ。「らしい」というのは、もちろん、読んでいないからなのだが、「奇跡を起こす」のも「恋愛を成功に導く」のもマーフィー氏の担当ではないと思うから読もうとも思わない。

「マーフィーの一人歩き」とでもいうのか、知的財産権の主張と確保に躍起になっている現代社会において、実におおらかな話ではないか。おいマーフィー!、何とか言ってやれ!とさえ思うのだ。

たまに現実社会の大書店を覗いても、「平積み」や「特集コーナー」は素通りするので、せっかく街に出ても世の中の動向をつかめないまま帰ってくることが多い私だが、今回は、意外なところからヒントをいただいた。神戸市立須磨海浜水族園メルマガだ。(最新55号の記事、残念ながら今日現在は54号までしかHPには載せられていない。)

そこには、水族園ならではの「法則」が紹介されていて、みな「マーフィー」のヴァリエーションや発展形であったり、パロディーだったりで笑えた。そのショートコラムの冒頭に「何々の法則」が何度目かのブームであること、今回は昨年の流行語大賞を逃したN氏が火付け役であることが書かれていたのだ。

知らなかった。「流行語大賞」にしても、ああ、そうですか、くらいのもので、下手をするとTVを見ない私には理解困難なものさえある。例えば2003年の「なんでだろ~」は、見た覚えはあるが、「流行語」にまで浸透していたとは、つゆほども知らなかった。それも、まあいい。

しかし、考えてみれば「何々の法則」というのは、その時代、その社会に生活する人たちの共通認識から生まれてくるのだとすれば、ブームのような「波」があるのは理解できるし、それらが普遍的であればあるほど繰り返されるのもうなづける。

1949年エドワーズ空軍基地でE.A.マーフィーJrが、最初の法則、『いくつかの方法があって、その1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ。』(H.S.エンドウ訳)を発表したときには、『緊急の要件で呼び出したい相手の携帯電話は、電源が切られているか、電波の届かないところにある。』(ヒロリン)なんてことは想像もつかなかっただろうが、理解は示してくれるだろう。そうか、「マーフィー」は、「普遍」の代名詞に進化したのか。

何をいまさら。
by hirorin330 | 2005-04-04 16:13 | 日常