バッハの顔
生誕323年になる。
で、というわけでもないが、タイトル画像を変えた。
バッハの顔。(画像は、AFPのサイトから拝借&加工)
AFP に、「バッハはこんな顔だった!」という記事が載った。
最新技術で復元されたのだそうだ。
復元過程を見せられれば、頷かされるが、
白いカールの鬘を被せれば、おなじみの肖像になるような気もする。
私は、かつてドイツ語を学んでいたとき、バッハが話していた言葉だ、
と思うだけで心が震えるほどバッハが好きだ。
いや、モーツァルトもベートーベンもブラームスもドイツ語を話した。
ついでに言うと、ヒトラーだって。
でも、私にとってバッハは別格。
バッハの残した文書が読めるだけで幸福だ。
が、正直、新に再現された「顔」にとくに感動はなかった。
ぶっちゃけ、もっと不細工でも敬愛の気持ちは変わらない。
確かに、なるほど、と思うような精悍で実直な顔つきだとも思うが、
ただただ、その遺した音楽に心酔している。
ところで、だ。
私が音楽を学んでいた頃は、CDではなくLP。
『マタイ受難曲』などは、1曲で、LP4枚組みとなる。
それも、布張りの豪華で大きな箱に収められている。
キャパにゆとりがあったから、というのも確かだが、
当時は、添付されている資料も豊かで深かった。
独英仏の対訳になる解説書に添えられた豊富な絵画資料は、
あたかもアルブレヒト.デューラーの銅版画集。
指揮者、カール・リヒターの肖像写真は、
単なる印刷ではなく、別印刷の添付。
さらに、バッは直筆譜の総天然色ファクシミリが、
2枚も添えられている。
日本語版の訳と解説は、なにげに皆川達夫。
これだけで、新書1冊以上の内容がある。
とどめは、同梱されているカタログ。
まるで、絵画集だ。
私の場合、それらから音楽学を目指したとさえいえるが、
とにかく、直径30cmの音盤を4枚、裏表、ターンテーブルに乗せる。
考えようによっては、間延びであり、興ざめ。
でも、針をレコードに載せる瞬間が、8回もある、とも言える。
いささかMッ気があるのかもしれないが、
針を落とす、あの緊張感は、確かにスパイスだった。
これから空気をそして、私の心を振るわせる音楽に対して、
襟を正す意味が、はっきりとあったと思う。
後に、CDで聴く同じ曲に、何かしら物足らなさを感じるのは、
この「スパイス」の差だったかもしれない。
AFPの記事が、こうしたセピア色の思い出を思い起こさせてくれた。
素直に感謝したい。