「金のなる木」とバッハ家

この頃では、金のなる木は、生えてない、
などという言い方はしなくなったようだ。

放っておけば、金がなる木なんて、
いかにも非生産者的な発想ではないか。

「木」である限り、水をやったり肥料を与える、
そういう労苦も伴うはずなのに、
植えていれば、遊んで暮らせる木なんだ。

まあ、植えた後も世話が要るなら、
ありがたみも半減ではあるが。

公家、武家、そして江戸っ子(都市民)は、
一次産業から縁遠いからだろうか。まあ、いいが。

いや、祖母の遺品を整理しつつあるのだが、
面白いものが出てきた。

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それほど古いものでもないと思うが、
「江戸名物」とある。

誰が行ったのか、誰の土産なのか。
祖母は、京都より東は知らない。

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あけてびっくり、歌川芳虎の浮世絵、
それを、谷中のいせ辰が複製パネルにしたもの。

浮世絵と言うよりは、駄洒落連発の縁起ものか。
枝枝には、慈悲深き、潔き、辛抱強き、などの言葉。

これらの「木」を大事にすれば、
自ずと「金のなる木」になるということか。

ということは、やはり、
植えっぱなしではいけませんよ、という教訓か。

で、思い出したのが、一昨日生誕325年を迎えた、
大バッハの「家系樹」。あんまり関係ないが。

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バッハの一族も経済的には恵まれず、
貧困と言っていい生活だったようだ。

大バッハは、敬虔なキリスト教徒だったので、
「金のなる木」的発想はなかったと思う。

その代わり、より良き待遇を求め、
現実的な転職を繰り返した。

教会と宮廷をほぼ交互に、
ドイツ全土と言っていいくらい転々と。

「芸術家」が市民や権力者から認められ、
特別な扱いを受けるには、まだ時間がかかる。

ファイト・バッハを祖とした、この家系樹は、
大バッハ、ヨハン・セバスチアンが作らせたという。

大バッハは第26代だが、よく見ると、
生没年に関係なく順位が振られていたりする。

そして第47代以降は、結構親ばかだったのか、
自分の子供と孫だけで占められている。

残念ながら、300年以上過ぎた今、
直系の子孫は絶えてしまっている。

大バッハとほぼ同じころ生まれた、
薄利多売の元祖だった越後屋・三越も
やがて、高級百貨店となり、
越後屋から生まれた三井銀行は、
紆余曲折を経て、三井住友銀行となり、
昨今は、三越百貨店も、
社会の構造変化にさらされ、苦労をしている。

子孫が永く幸福であることがいかに困難か。

「金のなる木」は意外性の大きい遺品だが、
祖母は、ただ一人の内孫である私が、
いつか、見つけること期待していたのかも。

辛抱強木、なんて苦手だもんなあ。

1年先のことも不透明な私だが、
105年生きた人に従って、
金のなる木でも植えてみようか、
と一瞬は思ったのだった。
by hirorin330 | 2010-03-23 18:21 | 趣味