BIOLATOR (バイオレーター) / カシオ

引き出しの奥から懐かしいものが出てきた。
40年位前の電卓。
a0022024_16534530.jpg

骨董品だ。
中には、大きなパーツが、並んでいる。
a0022024_16541091.jpg

カシオのバイオレーター。
知りたい日付と生年月日を打てばバイオリズムがわかる。

いや、バイオリズムを信奉しているわけではない。
あのころ、流行ったのだ。今となっては赤面モノ。

デジタル~は、カシオ♪
山口百恵だったような記憶が。

残念ながら今は機能しないが、色々思い出してきた。
バイオリズムは、2000年12月31日までしか計算できない。

手に入れたときから、おそらく25年くらいは計算できる、
そういう設定だったんだろうと思う。

いわば、最小公倍数の話だから、後は自分で計算すればいい。
それでも、少年だった私には、2000年は「未来」だった。

「2000年問題」もノストラダムスの『大預言』もなりを潜めているが、
なあに、2000年だって、通過点に過ぎない。

それでも、色々考えることの多かった私は、
明るい未来を信じ、様々なテクノロジーに思いを馳せた。

一方で、ふと気づいてしまったこともある。
その頃は、立派な中年になっているであろう自分に愕然とする。

そして、父とは似ていない私は、どうしてもイメージできなかったのだ。
中年の自分を。

それは、一種の自己防衛本能だったのかもしれない。
あるいは、現実から逃避していたのかもしれない。

20世紀が終わって、10年近くが過ぎ、
中年もいわば「後期」に差し掛かる今、若い自分を懐かしむゆとりが出来た。

ところが、だ。
思いついて、この1月に買い換えた、携帯のスケジュールを調べて、また呆然。

2037年までデータを打ち込める。
機種の生産からおよそ30年。
a0022024_16545349.jpg

まあ、電卓とちがって、そこまで使うことは、想像しにくい。
とはいえ、日付を現実に見せつけられると、複雑な思いが心を覆う。

2037年12月31日。
「未来」だ。

少年だった私に2000年は実感できなかったが、
生存は、あまり疑うことはなかった。

現実には、夭逝した同級生も居たが、
2000年、中年とはいえ、生きているだろうと思っていた。

今、私は、2037年の私が、あの時と同じように見えない。
しかも、今回は、生存の確固たる自信もない。

人は、こうして、時間の中に自分の居場所を探しつつ、
緩やかに老いていくものなのだと、今頃悟った。
by hirorin330 | 2008-06-02 16:56 | 日常